心にうつりゆくよしなし事をの最近のブログ記事

20140602 終活1

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 来年で半世紀生きたことになります。
 終活というほどのことではないのですが、何となくまとめたくなって書いています。
 来年から書いていこうと思っていたのですが、前倒しで進めます。

 普段は「私」と書いていますが、今回は「僕」という気分です。

 僕の最初の予定では、40歳になったらリタイヤして悠々自適に暮らそうと思っていましたが、訳あってそうならずでした。
 というか、海外での仕事が増えてしまったのです。だから面白くて隠居できなかった。


 およそですが、僕の人生は、20歳を過ぎてから、10年ごとに何らかのピリオドがありました。
 離婚(31歳)、厄年(41歳)と再婚、東日本大震災(これはちょっとはやくて47歳、現地での活動を終えて49歳で、それと2回目の離婚)。

 後悔というのは、「しなかったこと」に対してそういう感情となるらしいですが(いろいろな記事が有ると思います)、僕の場合はそういう後悔は無いでしょう。

 ただし、自分の人生よりも自分以外の人のために働いていたと感じることが多いのは前回書きましたが、「やって損したな」(書いておきながらひどく自分勝手な書き方だと微笑んでいます)という感情はたまにありました。
 やはり、しなかったという悔いは無いようです。

 しかし、自分に対しては悔いがあります。
 それは、勉強をしなかったことです。

 私は埼玉の東部の当時はまだ農村だった所で育ったので、小中学校では何もしなくても1番でした。それが悪かったと感じています。「井の中の蛙大海を知らず」です。

 高校は遠く似通うのが面倒なので近くを選んだのが失敗で、そこは偏差値が低い学校でした。
 中学校から進学の時に「お前ならもっといい所に行けるから考え直せ」と担任の先生にいわれたのですが、勉強は自分の問題だと思っていたので、周辺の環境はどうでもいいと思っていました。

 しかし高校の3年間にまともに勉強しないと積み重ねが減る様で、いい友達やいい大学に行くということに繋がらなかったのが、私の勉強に対する最大の後悔です。やはり周辺環境は大事です。

 大学は米国系に通い中退です。
 学生のときに企業して仕事を始めたので、仕事の方が楽しく身になると感じていました。
 そのとき仕事で得たものが私の現在の力に繋がっていていろいろな意味で満足していますが、ちゃんと大学で体系づけた勉強をしなかったというのが私の唯一の後悔でしょう。

 身体や健康、運動の勉強は、私の母が公共衛生関係の仕事だったので、子どもの頃からの愛読書がそっち方面だった、という恵まれたというか変わったところが私のその方面のベースになっています。
 その後、仕事の医療や運動関係からみでその方面を伸ばしたと思っています。

 中高大学でちゃんと勉強して「身体や運動の方面へ進んだらどうなっているのだろう?」「大きな会社へ進んだらどうなったんだろう?」「自衛隊へ行ったらどうなったんだろう?」「東海岸の大学できちんとやっていたらどうなんだろう?」と戻れないことを考えて今更ワクワクしているのですが、窮屈な所だと私は性格的に無理だろうなあと思います。

 


 私が福島県で復興活動に多少ながらお手伝いさせていただいていたことを、ご存知の方もおられるかもしれません。

 福島県に移り住んで2年半その業務に従事させていただいて、終えたのが 2013/9/30。
 埼玉へ戻って来て間もなく9ヶ月が経ます。

 実は PTSD の症状があります。これでもかなり良くなりました。
 PTSD と書くとこれは医療法に抵触するので、心理学の立場からすると「PTSD の症状がある」と書くことになります。
 そのためこれは医師の診察を経てでも、医学的な判断でもありません。

 1ヶ月以上そのような状態が継続するとそういわれるのですが、現地に居るうちからそれを感じつついて、人手が足りないことやいろいろあって、そのまま時間が過ぎるをの待っていました。
 戻ってきてから最初の数ヶ月は戻って来た嬉しさや仕事から解放されたことで、気晴らしになっていました。
 しかし仕事はやる気が出ないし、重い仕事がたまっていくし、かといって立ち向かう気力も無いで、眠れず、酒の量が増えてで、3月の頃が一番重かったです。

 治療を受けようかと思ったのですが、色々考えたのと、これも心理学の体験になるかなと色気も出して、食事を整えたり気晴らしを上手くすることで通り抜けようと考えていました。

 これまでの期間、人にいろいろと迷惑もかけてしまい反省している所ですが、反省を真っ向から正直にしてしまうと余計重たくなるので難しいです。


 私に会ったことのある方は、「hisa が PTSD の症状を持つようなことはありえない」とお思いと思います。
 そのくらい私は楽天家の能天気です。

 私が心理学に入ったのは10年と少し前で20年には届かないくらい、職場でのメンタルケアがいわれる様になった頃で、産業医の先生が徐々に関与する様になった頃です。

 最初の講習は大学で受けた様に覚えているのですが、かなり前のことですから、現在の様にメンタルや健康に関わる人ならある程度の理解を持つのが普通となる前のことです。

 その授業の始めの時に、
「メンタルの病気だからとちゃんと受け止めていない人が多いのですが、これは病気だからあなたもいつ病気になるか分かりません。どんなに健康な生活をしていても、『一生ガンにならない』と言い切れる人はいないでしょう。メンタルの病気もそういうものです」
と先生が話されたのがすごく印象に残っています。

 それから10数年を経て、多くの関係者がそれを認知し、また職場でもそのような担当者をおくような所まで環境は変わりました。

 ところがどっこい、本来であれば人の健康を見る立場で居るはずの私自身が、そのような症状となり、身動きできないとなりました。

 どういう因果なんだろうと、自分でも思ってしまうのですが、細かいことを書くわけにも行かず(そういうのをネットで書くほど勇気がないですし、またそれを読む方が良い気分になるわけでもないので、ここで詳細は書かない様にします。やがて出版したら買ってくださいな)、書いたらどんなに楽なのだろうと思いつつも、震災以降その様な立場の人が本当に多いのが続いているのだと考えています。


 それでものらりくらりとした感じですが、重い仕事に手を付けて、実際に手を付ければ数日で終わるものなのですが、スタートまでに半年以上掛かりました。

 福島に居ることは食事の量が増えて 70Kg(BMI 25)に発育したのですが、戻っても暫くそれが続き、3月半ば過ぎにとあることがあり食事をとらなくなり、アルコールも止めほぼ丸2ヶ月間(こんな長い間呑まないのは呑みはじめてから初めてかも知れません、もしかしたらヴィーガンごっこをした時は呑まなかったかもしれません)。
 体重が減少を続け 60kg を切りました(BMI 22)。
 とある日、元気があったので献血に行たのですが、アルコールを辞めたら成分分析がすばらしく良い。持病も何も無い健康な中年です。ところが心は健康ではない。


 そんなこんなでとりあえずは無事に過ごしているのですが、ブログはそのうちに再開しようと思っています。コメントやトラックバックはキツいので暫く休ませていただきます。

 充分に人と社会のために生きたと感じているので、これから先は自分と家族のために生きていきたいと思っています。
 

地震発生に伴う健康運動指導士認定試験(東京会場)実施日延期のお知らせ

第117回健康運動指導士認定試験
受験者の皆様

地震発生に伴う健康運動指導士認定試験(東京会場)実施日延期のお知らせ
3 月11 日に発生した「東北地方太平洋沖地震」で被災された皆様に、謹んでお見舞い
申し上げます。

平成23 年3 月21日(祝)に予定しておりました「第117回健康運動指導士認定試験
(東京会場:TOC有明)」は、この度の地震の影響により、やむを得ず実施を延期すること
といたしましたのでご連絡申し上げます。

なお、愛知会場(サンプラザシーズンズ)及び大阪会場(ATCホール)は、予定どおり実
施いたします。

東京会場にお申し込みいただいておりました皆様方には、誠に申し訳ごさいませんが、
代替実施につきましては、後日改めましてご連絡申し上げますので、何卒ご了承下さいま
すようよろしくお願い申し上げます。
平成23 年3 月14 日


平成23 年3 月14 日
財団法人 健康・体力づくり事業財団
指導者養成部

-------------------------

http://www.health-net.or.jp//pdf/shiken.pdf
上記ページより抜粋(PDF です。記載は財団了承済み)


<問い合わせ先>
財団法人 健康・体力づくり事業財団 指導者養成部
TEL:03-6430-9115(ダイヤルイン)

http://www.health-net.or.jp/


 mame さん、ご無事です。

 先ほど連絡が来ました。

 通信方法が限られており、メールや携帯はまだ使えないとの事でした。

 安心して泣きそうになりました。


 身内や知り合いだけでなく、皆さまの安全を祈っています。


(mame さんより掲載する旨の了承を得ています)

 東北の大地震から4日目となった。

 私事で恐縮だが、母は東北の出身だ。
 一人、年上の従兄弟と連絡が取れない。
 週末は山の方のご自宅へ帰るのだが、平日は海沿いで仕事をしている。


 掲示板のメンバーの方も、東北の方が居られる。

 宮城の女性の方は連絡が取れない。

 秋田の方はブログを更新されたので安心だ。身内の方に被災者が出たとの事だ。

 秋田のもう一人の方はブログの更新が停止しているが、この人は公務員の方なので忙しいのだと信じている(その後 f さんは無事だと別な方から連絡をいただきました)。

 悲しくて涙が出てくる。
 すべての方の無事を願っている。誰もが同じ気持ちだ。
 無事を信じて待とう。


 いま、自分で出来る事はわずかだが、気持ちをしっかり持ってすべき事をしよう。
 無駄な電気を使わないだけでも良い。


東北の皆さま、お見舞い申し上げます。

ご不便がまだ続くと思いますが、頑張ってください。

みんなで応援しております。


hisajp

 なぜか知らないが、私の言う事はなかなか信じてもらえない。
 冗談8割だからかもしれない。

 ここ暫くスパゲッティが続くのには訳があり、それは 5000g 入りを買ったからだ。
 スパゲッティの 5000g というと 5kg でダンベルと同じ重さがあるので、持ちでがある。

 しかし、
「デチェコのスパゲッティーニ 5000g 入り買ったよ」
というと
「またウソばっかり言って~」
とされてしまう。


 そのためエビデンスを添付して見たいと思う。
 こうすれば信用してもらえるはずだ、多分。

 「ウソ写真でしょ」
となったら、まだ袋が残っているからそれをお見せするしか無い。


dececco5000g1.jpg
これが 5000g 入りの写真。


dececco5000g2.jpg
大きさの比較。5000g、500g、タバスコ(後者2点は一般的なサイズ)

dececco5000g3.jpg
内容量の証明書


ipod のでかいのが出た

ipad というらしい。
3G 付きもあるようだ。

このでかさのまま、耳に当てて電話を掛けたい。

ipad_ multi_touch_20100127.png ipad_performance_20100127.jpg


http://www.apple.com/ipad/

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1001/28/news020.html


 友達のプロ野球選手という意味ではない。

 私の一回り前の世代の方、団塊の世代といっても良いのかもしれないが、すごく熱心なプロ野球ファンが結構いる。
 そういう人が何かで感極まると、お子さんに野球に関する名前を付けたりする。


 チーム名の人物に会うと結構衝撃的だ。しかし分かりやすくて良い。

 「巨人」という名の友達が2名いる。そのまま「鳩山巨人」という感じだ。字画もへったくれも無い気がする。

 「虎」が付くのが1名直接の知り合いでいる。遠い知り合いでも1名いる。虎之介とか影虎とか、結構ごっつく感じる。

 「竜」が1名。ただし龍だったかもしれない。竜一(龍一)みたいな感じだ。そいつは革ジャンでリーゼントが好きで、見た目は怖いが優しいやつだ。本当はすごく気が弱い。結構ポピュラーな名前かもしれない。


 「鯉」「燕」「湾星(*造語らしい)」はいない。
 「湾星」の前の名前の「鯨」もいない。
 「燕」はなんというか、男の子に付けるのはちょっとまずい気がしないでもない。


 パリーグは、全般的にチーム名から付けるのは難しいようだ。
 「闘士」「鷲」「鷹」「獅子」「海」「雄牛」となると、子供の名前には若干付けづらい気がする。
 パの動員数が低いのは、この辺りの関係もあるのかもしれない。そんなことないか。

 このような場合は、選手名からいただく場合もある様だ。
 例えば広島ファンの間では、浩二(山本浩二選手)が根強かったりする。

 また、名に付けられるチーム名だとしても、同様な例もある。
 「茂雄」だと直接的すぎるのだろうか、「茂夫」「茂男」だったりする。
 ミスターのほうがワンちゃんより人気が高い様に感じる。
 一人「貞治」が友達にいる。親父が少年チームを率いていた。実はそいつは野球が好きではない。周辺の期待度が勝手に高かったのかもしれない。

 選手名からいただくのは、今は現役を遠のいている選手もおられるから、世代が近くないと分からない場合もある。
 焼き鳥屋で微妙に親密感が増して良いのかもしれない。


 野球が好きでも、女の子に付けるのは、気を配る必要があるように感じる、、、。
 うちの会社の採用基準は変だから、名前だけで採用になった事もある。そういう会社は参考にしないほうが良いと思う。
 

はたらくおじさん、はたらくじどうしゃ(ヨーロッパのほうです)

じゅんばんでみてね

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=_mKm9TxJ_MI&feature=related


http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=i26Ho-0UOJs&feature=related



 こちらに目をお通しいただきたい。
http://hisajp.info/2009/09/30.html

 みんな努力家だ。大変だ。

 私は、
 楽に結果を出したい。
 無駄な努力はしたくない。


「上手く行かないのは、自分の努力が足りないからだ。
 今は上手く行ってなくても、努力を続けていればどうにかなる」

 あなたは、上手く行かない時に、そう考えてはいないだろうか?
 これは意味がない。
 自分の努力不足と思うとつらくなるし、無駄な努力を続ける事になる。
 本質を言うと、こういうのは努力の履き違いだ。


「上手く行かないのは、どこか捉えどころが間違っている。
 間違った努力を続けても、意味が無い。
 間違いを直せば良くなる」

 そう考えられると、上手く行かない事を続けても、無駄だと分かる。
 無駄な事は止められる。
 とたんに気持ちが楽になる。
 その分、本質的な挑戦と変わる。

 ひとつ良い方向に進み始めると、やがて全体が上手く行く。
 そうなるともっと楽しくなる。

 楽しい努力を続けよう。

 僕が料理が好きになったわけ

 私は昭和40(1965)年に生まれ、最初の数年間住んでいた本家は、土間にかまどがある古い家でした。
 おかずは台所のプロパンガスのコンロで料理していましたが、ご飯はかまど炊きでした。
 薪は裏山から拾い集めてました。

 かまどに薪をくべるのが面白くて、おじいちゃん(本当のおじいちゃんではない)がどこかに行っている間は、替わってしていました。

 冬場はすぐに暗くなるから松明ごっこが面白いんだ。
 ヒーローのつもりで火のついた薪を持って裏山へ行き、悪党探しでそこいら中にたき火を突っ込んで、でもすぐに飽きて火がついたままどこかに放ってきちゃうので、大人は大変だ。

 鶏を飼っていて時々近くの人に頼んでさばいてもらったり、玉子はすごく貴重で、海の魚は干物しか無いような田舎です。

 ネコは何匹か飼っていて、自給自足でネズミを捕っていたのか、餌はあまりやっていなかったと思います。
 私がネコをおぶっている写真があります。ネコに引っ掻かれて顔中が傷だらけです。

 犬にベロンベロンと顔を舐められたのが犬嫌いの始まり。
 犬は嫌いじゃないけど舐められるのが嫌い。ネコに舐められるのは好き。

 庭にあるものや適当にもらってきた残り物を、姉と一緒にたき火でままごとの煮炊きをして、鶏や犬にやっていました。それが多分一番最初の料理です。
 自分では食べませんでしたが。


 その当時、2度引っ越しをしましたが、どちらも近くです。
 本家には餅つきなどで良く戻っていたので、子供の頃から薪に火をつける事を当然の日常行為にしていたので、中学生以降のキャンプでの料理はいつもの延長で、薪での料理を特別視する理由が理解できませんでした。


 2度目の引っ越しで5歳になりました。
 私の母はその当時の「職業婦人」の走りで、公共衛生関係の仕事をしていました。ウーマンリブの頃です。
 母は平日の昼間は家に居なかったのですが、母方のおばあちゃんが面倒を見てくれていました。
 父方の祖父母はどちらも私が生まれる前に亡くなっていました。

 母は日曜日くらいしか家に居なく、考えてみれば子供(私)の面倒はあまり見なかったのですが、そういうときだからこそ料理などで一緒に遊んでくれました。

 包丁を持ったのは多分それが最初で、初めて切ったものは、チャーハンかカレーの為にタマネギかなにかでした。
 普通にスライスするように言われたのに、私はおもしろがってみじん切りにしてしまい、母は困ったのだと思いますが、普段面倒を見てない弱みがある為か、
「まあ、教えていないのにこういう事で来たので、偉いわね。でも次からは言われた通りに切ってね」
という感じで怒られはしませんでした。

 その時に料理というか、食材を切る事の面白さを覚えた気がします。

 今考えてみると、母はあまり料理が得意ではなかった様に思います。煮染(にしめ)くらいしか上手でなかった。
 仕事柄か、とにかく何でも塩分を少なくしていて、美味しくなかった。漬け物も薄すぎて漬からずにカビが生える始末です(笑)。
 痴呆となった今でも「しょっぱいものはダメだ」と言い続けています。

 煮染に限っては昔覚えた所為か、これだけはしっかりとした味付けでした。
 東北の海辺の出身なので向いた食材が少なかったのもあるかもしれませんが、「工夫してでもあの味を食べさせたい」という気も無かった気がします。単に食べ物への興味が薄かったのかもしれません。


 3つ年上の姉がいるのですが、彼女も料理が好きで、私より年上な事もあり、雑誌の先駆け記事を読んだのか、一般的になる前のクレープを家で作ったりしていました。
 その後、中学生ぐらいの時から、食事当番というほどではないのですが、私が週に何回か料理をして、カレーを作ったりしていました。
 そういうのも何の違和感も無くしていたので、料理は男女問わず誰もが当然するものと思っていました。


 20歳くらいの頃におばあちゃんが亡くなって家でお葬式をしたのですが、その時来てくれた従兄弟の旦那さんが国際的な仕事をされている方のお抱えのコックさんをしていました。
「人数多いからおでんでも作ろうか」
と言ってくれて、あっという間においしいおでんを作ってくれました。私にはそれが魔法のように感じました。

 私の知り合いで食べ物や料理に悪い言い方しかしない人がおられて残念なのですが、その人に話したら、
「そんなの当たり前じゃん。コックの料理なんて出汁が濃いだけで、旨く感じるのはそれでごまかされているんだよ」
と言われてちょっとショックだったのですが、私には最高のおでんでした。

 多分このおでんが私が料理を好きになった、またそれを決定づけた最大の理由だと思います。


 大人になってからの仕事が音楽関係で、この業界は料理が好きな人の比率は一般よりも高いのですが、逆に自分の音楽に没頭して食に無頓着な人の割合も同様に高いという不思議な世界です。

 そうなると料理が好き同士で仕事をしたり、料理好きはたいてい酒も好きなので良く一緒に呑んで喰ってで遊んでいました。
 呑みに行って料理人に「これどうやって作るの?」と聞いたり、またはL字カウンターの短い辺に座ると板前さんの手もとが見れるので、そういうことで作り方を盗んだりしていました。

 実はそうとう以前に、弁当屋でバイトをした事があるのですが、一回覚えるとやる事一緒だし、創意工夫が出来ないので、すぐに飽きてしまいました。
 だから料理はきちんと学んだ事が無くて、自己流すぎると思っています。
 パティシエの様なお菓子作りもした事が無いので、いつかはどちらもきちんと勉強したいなあと思っています。


 東南アジアでしている仕事では実は飲食関係もやっていて、今はそっちにはほとんど行っていないのですが、隠居したら力を入れたいなあと思っています。
 日本で旅館というかオーベルジュというか、料理をメインとしたおもてなしをさせていただく事業をしたいと考えているところですが、どうなるやら。


 そういう世界に居たので、男性の方も誰もが当然普通に料理をするものだと思っていたのですが、そうでは無いというのが分かってきたのがついこの頃です。
 気づくのが遅いですよね(笑)。


 911からもう8年が過ぎたのかと思うと、不思議な気がする。
 「まだ8年か」という気もするし、「もう8年経ったの?」という気もする。

 あの当時はいろいろあったから、今思うと、やっぱり怖かった。
 生きてて良かったと本当につくづく感じる。


 ようやく音楽を聴けるようになった。

 嫌な思いをすると気持ちが緩むのに時間がかかる。それが強烈なほど元に戻るのに時間がかかる。


 男の42歳の厄年というのはそれ自体は迷信だろうが、大体そのくらいの年齢になると、歳をとる事で体調が変わったり、何か仕事や人生でつまずいたりする機会が増えるのだと思う。
 その前に前厄があり、後厄もあるから、全体を入れると結構引きずるような気がする。
(厄年という考えは日本だけではなく、様々な宗教や国で同じような考えが少なくはない)。


 私は元々は音楽を目指していてそれで飯を食っていたのだが、ある時、演奏に対する真摯さが回りのミュージシャンよりも遥かに低く感じ、演奏を止めた。
 それから P やったりエンジニアをしたり、舞台の裏方をしていた頃もあったが、20年間くらい続けたが結局辞めた。
 辞めたのが前厄の頃だった。

 人の身体を見始めたのはそれと重なっていた頃から始め、向いているのか、これは真摯に続いている。しかし不思議な二足わらじだったと思う。


 音楽を辞めてから先は本当に音楽に触れていなくて、触りたくもないし聞きたくもないという感じだった。
 CD すら買っていなかった。
 あまり話したり書いたりしないのはその為だ。


 ここになって、ようやく音楽を聴けるようになった。

 聞いているのは以前に買った CD がほとんどで、
「ああ、あの頃はこんなことしていたんだ」
と浸っているような状態だ。


 今日090901、NHK で爆笑問題さんの坂本教授との対談番組があったが、教授は NY で 911 (セプテンバー・イレブン)に居あわせたらしく、

「その時は恐怖で身体が動かない、泣く事すら出来ない。
 3週間くらい経って締め切りが近づいていたので嫌々臨んだら、音楽に触れて身体が緩んだ」

という内容で話されていたが、音楽は、自分から触らないと触れないものなのだろう。

 触るとそれですべての固まったものを、一度に溶解させるくらいの力があるのだが、何かのきっかけがないと、それまでがすごく重い。


 どこか病んでいたのだと思う。
 楽になってみて、楽とは楽なんだなあと、つくづく感じる。
 

 選挙の投票が閉め切られたので、書きたいと思います。

 民主党が政権を取ったなら、
 党内の左右を合わせて一枚岩にするのは相当大変に思いますが、
 責任のある政党としてやってほしいです。

常識とは何ぞや?2

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 研究というのは、過去に言われているものを疑う事から始まる仕事なので、過去の事を知らないと出来ない。
 今までの連綿と続いてきた珠玉がごときエビデンスを知らないとダメなのだが、師匠の言われた事を疑ってみないとダメな世界なのである。

 最初から思いっきり矛盾しているのである。


 こういうところだと、常識という定義が壊滅するのである。
 いや、壊滅ではない。常識がないと常識を疑えない。

 ここでもう一回矛盾が生じる。こんなのが延々続く。
 子供の遊びみたいだ。子供に失礼か。


 「我が辞書に常識という言葉はない」
ではないが、うちの会社では「常識」という言葉がほぼ全く使われない。

 これは私が常日頃から「常識など無い」と言っているので、使いにくいのだと思う。
 元はもうちょっと柔らかくて「常識という言葉を使うな」「常識に頼るな」だったが、これは「常識など無い」と言えるだけの自身が自分になかったのだと思う。


 と言っておきながら、私自身は「常識的に考えてそれは無理でしょう」というようなことを言ったりする。

 とはいえこの時に相手に納得が生まれれば良くて、
「毎日3時間しか寝ないでまともに食事も摂らないで、それで良い競技成績を残すのは、常識的に考えて無理でしょう」
というような時に使ったりする。

 これで相手に納得が生まれず、「そんな事はあり得ない。hisa の常識は間違っている」と返されるのであれば、改善を私に相談する必要はなく、その人は既に世界一になっているはずなのである。

 そうすると
>「毎日3時間しか寝ないでまともに食事も摂らないで、それで良い競技成績を残すのは、常識的に考えて無理でしょう」
というこれは、「世間的な常識というより、当事者間の共通認識と変化して存在している」と言えるのだと思う。


 私の中で常識と言えるのは、
「常識などない」
「常識と言える唯一の事は、人間はやがて死ぬという事だけだ」
という事だけなのだが、なんだかんだ自分の常識が普通だと思っていたりする。

常識とは何ぞや?1

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 常識というのは、比較的使われやすい言葉の様に感じるが、そもそも常識の定義とは何なのだと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E8%AD%98

 私は「そんなの常識でしょう」という言葉は今まで一度も言った事がない。

 常識というのは人それぞれ違うと思っているし、自分の常識と思っている事が他の方にも常識として通じるのかが不安で、これは子供の頃からそうだったが今もそうだ。

 「そんなの常識でしょう」と言える方はすごいと思う。

 以前、私の仲良しだった女の人は、感情的になると「そんなの常識でしょう」と良く言っていた。実は私の別れた奥さんだ。

 私は「世の中に常識などない。それはあなたの常識であって、自分の信じたい事を常識と転嫁しているだけだ」と言って、良く喧嘩になっていた。

 これは常識という言葉を使って、自分の考えを相手に押し付けているだけだから、合意を得ないのは当然だろう。


 常識の違いというのは、知らない世界に行くとすごく感じる事が出来て、とても楽しい。

・北枕
・箸は横に向けて置く
・ソバは音を立てて吸う
・焼き肉はタン塩から
・一口も食べずにいきなり醤油をかける

というようなものから、命に危険を及ぼすような事柄まであるが、常識というのは

「その人の於かれている世界(= 過去に経験した事のある範囲)によって異なる」

ものだと思う。というか、明らかにそうだと思う。

 常識の違いを楽しいと思えると、常識が広がるのだと思う。

忙しいときはいろいろ重なる。暇なときもいろいろ重なる。

マックにビールかけたら動かなくなっちゃったので、win で更新中。


 定額給付金パーソナルトレーニングプランを始めさせていただきます。


ご対象の方

 初心者の方、運動再開の方。

 競技スポーツ等や、ビルディングやシェイプアップ等のトレーニングをされている方で、なんらかの改善を図りたい方。

 舞台関係者の方(奏者、歌い手、俳優女優、モデル等)で、トレーニングを始めたい方や、なんらかの改善に取り組みたい方。

 基本的にパーソナル(対個人)トレーニングですが、各種団体も対象とさせていただきます。ただしこの場合は料金設定は相談とさせてください。
 
 
 
制限事項等

 年齢、既往症、障害等での制限は特にございません。

 無料コースでのスクリーニングにより、その方に適している内容に調整させていただきます(下記ご覧下さい)。

 お一人で自立しての活動が難しい方は、あらかじめお申し付けください。

 未成年の方は親権者の同意書が必要になります。 
 
 
 
概要

 すべて弊社の通常の方式と同じとなります。

 基本的に「実技」を伴うものになります。
 通常のトレーニングの改善から、姿勢や容姿、競技や舞台での動作の改善等を、お客さまのリクエストおよび身体状況や発展状況を勘案し、指導やアドバイス等を行うものとします。


 無料コースを受けておられない方は、ご経験に関わらずまずはそれをお受けください。
 無料コースの中で、リクエストをお聞きするとともに、運動経験や身体状況へのスクリーニングをし、その上で内容を調整させていただきます。
 無料コースは、別途実費で数百円〜上限2千円程度が掛かります。

 その後、よろしければ通常よりお得な「定額給付金コース」をお申し込みください。

 「無料コースを受けた場合は、有料コースを受けないとならない」
ということはございません。

 スケジュールは、肉漢掲示板のカレンダーへ記載されている日以外も可能で、都度調整させていただきます。

 時間は1回、2時間程度とします。内容上それを越える場合は、相談の上、追加料金が掛かる場合があります。
 
 
 
場所

 弊社指定場所(東京23区内)
 お客さま指定場所(ご自宅、ご指定場所等)
 
 
 
料金

 無料コースは無料です。
 ただし別途実費で数百円〜上限2千円程度が掛かります。実費額はあらかじめお伝えします。

 定額給付金コースの料金は2回で¥12.000円です。
 ただし初回が ¥8.000円、2回目が¥4.000円になり、都度お支払いください。
 初回分が高いのは、資料作成の為です。
 この料金には、消費税、通常の実費は含まれます。

 特別なリクエスト、遠方(出張)の場合、1回2時間程度を越える場合等は、ご相談の上、追加料金が掛かる場合があります。

 2009年6月30日までに定額給付金コースの1回目を受けられた方は、上記の料金が適用されます。

 定額給付金コースは1回目と2回目の間は1ヶ月間(翌月の同じ日の前日)とさせていただきます。弊社の都合でその期間内で実行が不可能な場合は、延長させていただきます。

 お客さまの意思で期限内に同コースの2回目をお受けにならないときは、権利が消失します。

 3回目以降は、通常の料金とさせていただきます。

 契約内容の確認は、初回無料コースの際に面談及び書面をもって行うものとします。

 不明な点はお気軽にお問い合わせください。
 
 
 
詳細

 詳しくは hisa 宛にメール、肉漢掲示板の PM 等でご確認くださいます様お願いします。メールはこちらのページの下段にございます。
http://hisajp.info/hisa.html


2009/4/1


 感動はすばらしい
 感動出来ることは、すばらしいことだ


 感情は動物にもある
 恐怖、恐れ、怒り、腹減った、食えて良かった
 動物が子供を育てるのは本能で、そこに感情はない
 動物には生命の危機や保全に関する以外の感情はない


 感動
 それは人間にしかない

 人がギスギスしてくると悪い感情の露呈が多くなる
 感動は減る

 逆に、何かで感動を受けると、豊かな感情が広がる

 ほんの些細なものに、感動はある

 詩を読んでも、
 音楽を聞いても、
 愛する人から微笑みをうけとるのでも、
 自分から微笑みかけるのでも、

 感動はいつでもあなたのそばにある


 すきなだけ泣いて、すきなだけ笑っていい


 もっと自由に生きてほしい
 

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