20140602 終活1

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 来年で半世紀生きたことになります。
 終活というほどのことではないのですが、何となくまとめたくなって書いています。
 来年から書いていこうと思っていたのですが、前倒しで進めます。

 普段は「私」と書いていますが、今回は「僕」という気分です。

 僕の最初の予定では、40歳になったらリタイヤして悠々自適に暮らそうと思っていましたが、訳あってそうならずでした。
 というか、海外での仕事が増えてしまったのです。だから面白くて隠居できなかった。


 およそですが、僕の人生は、20歳を過ぎてから、10年ごとに何らかのピリオドがありました。
 離婚(31歳)、厄年(41歳)と再婚、東日本大震災(これはちょっとはやくて47歳、現地での活動を終えて49歳で、それと2回目の離婚)。

 後悔というのは、「しなかったこと」に対してそういう感情となるらしいですが(いろいろな記事が有ると思います)、僕の場合はそういう後悔は無いでしょう。

 ただし、自分の人生よりも自分以外の人のために働いていたと感じることが多いのは前回書きましたが、「やって損したな」(書いておきながらひどく自分勝手な書き方だと微笑んでいます)という感情はたまにありました。
 やはり、しなかったという悔いは無いようです。

 しかし、自分に対しては悔いがあります。
 それは、勉強をしなかったことです。

 私は埼玉の東部の当時はまだ農村だった所で育ったので、小中学校では何もしなくても1番でした。それが悪かったと感じています。「井の中の蛙大海を知らず」です。

 高校は遠く似通うのが面倒なので近くを選んだのが失敗で、そこは偏差値が低い学校でした。
 中学校から進学の時に「お前ならもっといい所に行けるから考え直せ」と担任の先生にいわれたのですが、勉強は自分の問題だと思っていたので、周辺の環境はどうでもいいと思っていました。

 しかし高校の3年間にまともに勉強しないと積み重ねが減る様で、いい友達やいい大学に行くということに繋がらなかったのが、私の勉強に対する最大の後悔です。やはり周辺環境は大事です。

 大学は米国系に通い中退です。
 学生のときに企業して仕事を始めたので、仕事の方が楽しく身になると感じていました。
 そのとき仕事で得たものが私の現在の力に繋がっていていろいろな意味で満足していますが、ちゃんと大学で体系づけた勉強をしなかったというのが私の唯一の後悔でしょう。

 身体や健康、運動の勉強は、私の母が公共衛生関係の仕事だったので、子どもの頃からの愛読書がそっち方面だった、という恵まれたというか変わったところが私のその方面のベースになっています。
 その後、仕事の医療や運動関係からみでその方面を伸ばしたと思っています。

 中高大学でちゃんと勉強して「身体や運動の方面へ進んだらどうなっているのだろう?」「大きな会社へ進んだらどうなったんだろう?」「自衛隊へ行ったらどうなったんだろう?」「東海岸の大学できちんとやっていたらどうなんだろう?」と戻れないことを考えて今更ワクワクしているのですが、窮屈な所だと私は性格的に無理だろうなあと思います。

 

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このページは、hisaが2014年6月 2日 23:02に書いたブログ記事です。

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