前述のような事は、例えば女の人の声で電話をいただいたときに、
相手:「これこれこう言う条件で、こういう問題が生じていて、ここをどうにかしたいと言う話しなのですが、どうでしょうか」
私 :「じゃあこれをこうしてください」
相手:「でもそれで良いんですか?」
私 :「お話しされたのはそういう事ですよね」
相手:「えっ、でも子供の事です」
と最後に重要な条件を出してきたりします。
こういうのは私も慣れてきたので、全体をお聞きしてからお答えする様にしていますが、そういう話し方になる事自体がご本人に中で整理が付いていないからなのだと思います。
そうすると、本質的には当事者だけで解決できる問題であっても、全体の整理が付いていないから解決できないとなる様に思います。
しかし、このように専門家とそうでは無い方の話しであれば、専門家側が聞くという事で解決を図れる訳です。
ところが専門家同士の話しだとして、片方の人が
「相手は分かっているだろう」
という気持ちが有るとこれはちょっと大変です。
こういうのはけっこう感じます。専門家が理論的に話しが出来ないのだと、仮説も理論的に組み立てられていないのでしょうから、理論的な問題の解決には至りません。
こういう場合は
「行き当たりばったりで試しながら解決する」
という、専門家としてはあまり正しくない方法で解決せざるを得ないので、時間もかかり、失敗か成功するかは
「やってみないと分からない」
という話しになります。
データを取る為に行う、というのはこれとは異なります。
何事もデータを取らないと分からないので、
「このような目的でこのようなデータが必要だから、このような手順を取る」
というのであれば、それは理論的な手法です。
これがデータ収集の為にものを行うのか、行き当たりばったりなのかは、最初に理論的に計画されているかどうかの違いなのですが、問題が見えてていないと理論的に解決する事は出来ません。