運動やトレーニングの仕方は人それぞれ違う
運動やトレーニングの仕方は人それぞれ違うものだ。
やり始めた最初のうちは集団指導が出来るが、それは全体が均質に近いからだ。
やがて上手下手や体格差、性差などが現れてくるので、ずうっと同じ内容で同じ事をする事は難しいし、意味が無くなる。
小学生の体育の授業でも、さぼっていたり出来ていない子もいれば、ここぞとばかりに頑張る子もいる。
運動の好き嫌いもあるし、かけっこや鉄棒や水泳での得手不得手がある。
この段階では得意な事を見つけて伸ばしてあげれば良いのだろう。それが勉強でももちろん喜ばしい。
高齢者の方の施設などでの集団指導では、
「辛くなったら休んでくださいね」
というような感じで、それぞれの方のしている事や負荷は異なる。
大人になって都合の良いのは、さぼっていてもごまかしが効くのと、バレても自分より若い先生に怒られない事だろう。
先生もそんなことを言ってすねられるよりも、とりあえずでも進めた方が良いと知っているから厳しく言わない。
競技になってくるともっと変わってくるのは当然で、野球とサッカーが同じ練習やトレーニングをする事はない。体重制のクラス別や性差で異なる事は多いにある。
シェイプアップやビルディングにしても、それぞれの骨格や体格の違いで筋肉の付き方が違うのである。ヒップアップ一つにしても適した方法は本当は異なる。
その人の特性や発展状態に応じて、トレーニングの内容は変わるし、また変えていかないと、望む結果は出ない。
いつまでたっても同じ事をしていても、どうにもならない。
とは言っても、最初は本人がどうして良いか分からないから、基礎的なものから始める事になる。
自分の身体を使う動作でも、最初のうちは自分の身体を自分で分からない。
最初からピアノが上手く弾けないのと同じで、出来る様になるまで焦ってもしようがない。
高度になるほど個別性や特異性に合わせる割合が増える
トレーニングに限らず何事も、高度になるほど個別性や特異性に合わせる割合が増える。
また方針としてもその人の良いところを伸ばすのか、弱点を補うのかに因って、それぞれプログラムの内容は異なる。
そこに期限や発展の順番が絡む。
それぞれに適したものは「やってみないと分からない」のである。
だからといって当てずっぽうでやる訳ではなく、その人の状態を考えながらやる。
もうちょっと正確に言うと、
「やりながら適切な方法を探り続ける」のである。
知らないのは調べながら行えば良いので、その道のさらなる専門家に聞くなり、強い選手に聞くなりして、その人の特性に合わせたプログラムを考えれば良いのである。
だからそれぞれの個別例を知らないのは全然構わない。
たくさんの個別例を持っていたところで資料が増えるだけだし、時間が経つと陳腐化する。
それより呑ますと聞ける友達を増やした方が良い。呑めるなら個人的にもその方が都合が良い。
またそれぞれの特性に合わせて改善していくのだから、他人と同じ内容をそっくりそのままあてがえる訳でもない。
もっと良い方法が見つけて、もっと良くしていける。
女性のシェイプアップでの減量にしても、大抵は胸とヒップの痩せるスピードがそれぞれ違う。それぞれのパーツの中でもさらに違う。
そういう特性が見えたら「ここは減らしてあっちは残しましょう」と調整する。
そのため
「減量を進める場合は、どの部位が減ってどの部位が残るかは、実際にやってみないと分からないです。そのため理想のプロポーションになる様にやりながら進めましょう」
というのが適切だろう。ガリを作るのではない。
どのようなものも、最適になる様に、理想に近づく様に、いろいろな方面から見て進めていく。
適切な事を、適切な量だけ、適切に行う
適切な事を、適切な量だけ、適切に行う。
期間が1週間でも1年間でも、どちらも同じだ。
期限が1週間ならその時に向けて、
「適切な事を、適切な量だけ、適切に行う」だけである。
時間が無いといって焦ってバタバタしても、良い結果には繋がらない。
期限に近づくほど調整が難しいのだから、1週間しか時間が無いのに1年間かかる事をやっつけようとしてもそれは無理だ。
ピアノを初めて1週間でラフマニノフやプロコフィエフは弾けない。
身体を使うものはどれも時間がかかる。
大事なのは積み重ねであり、そういう考え方だ。