きちんとした取り組みが出来ていると、ベースから持ち上がってくる

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勉強も運動も、同じような進み方をする

 運動やスポーツは、楽しみつつ行なうものからトップアスリートのする事まで、上下の幅がものすごく広い。
 誰でもスポーツは楽しめるが、トップになれるのはほんの一部だ。
 トップになるにはそれだけの質と量の練習やトレーニングが必要である。


 勉強では当然これを誰もが知っていて、一流大学を主席で卒業し、ハーバードや MIT の院にスカラシップで行き、そのまま向こうで仕事をする様な人は、当然それだけの事をしている。
 積み重ねた結果がその個人に現れているのである。

 そういう人に対して
 「どうすれば先生みたいになれますか?」
と質問する人はいないと思う。

 相手が小学生であれば
「お父さんお母さんのいう事を聞いて、きちんと勉強すれば大丈夫だよ」
位には答えられるだろうが、現実的に進めないとならない段階になったら様々に条件が違うのだから、当てずっぽうにいう事など出来ない。
 
 
 
 「どうすればイチロー選手みたいになれますか?」
というのは全くこれと同じ話しで、子供に対しての受け答えは同じ様に答える事が出来ると思う。

 ところが運動やトレーニングでは、この様な質問を大人がしているのである。
 「どうすれば競技が上手くなりますか?」
 「何を食べればスタミナが付きますか?」
 「どうすればきれいに痩せますか?」
 「簡単に教えてください」

 おいおい、簡単なら誰もがオリンピックに行けて誰もが世界一になれる。


・あなたの条件が分からず答える事など出来ない。
・あなたを詳しく調べ分析し、時間をかけて組み立てていけば、可能かもしれない。
・しかしあなたが最大限の努力をそうなるまで続けないとならない。こちらも精一杯頑張るがそれに頼るのではダメだ。

 この程度の事はいえるだろうが、具体的にどうするというのは、当てずっぽうにいう事など出来ない。
 
 
 
運動のコツと暗黙値

 運動というのは簡単なコツで解決できるものがけっこう有る。

 そのときそこにいればワンポイントアドバイスで良くなる事も有るだろうし、競技選手としてそういうコツを積み重ねる事ですごく上手くなることも充分にあるし、実際にそういう事も多いと思う。

 コツの積み重ねで発展する事に問題が有るとしたら、それは経験値の縦横を通しての理論的推考が出来ない事で、根源的に同じところが原因としても、表面上違う問題にぶつかるとそこで新たなコツを教わらない限りそれを越えられないという事にある。
 そのためその新たな問題を解決するコツを知っている人がいないと、解決できないとなる。

 何事も行けるところまでは行けるのだが、どの時点でそれにあたるか。
 子供のうちにそこにあたると次ぎに行けなくなるし、トップ選手になったら前人未到なのだから、自分でコツを作らないとならないのかもしれない。

 もちろんコツとコツを経験値から組み合わせる事は人間はする。しかしそういう方法だと時間がかかる。自分ではつかえるがチームで共有できないし、教えられない。これだと団体競技だと都合が悪いとなる。
 会社のような組織にもこれはそのままいえる。


 こういうのはどこまでが理論的にいえるのかとなるのだろう。
 理論的に考えているつもりでも判断は選択なので、やはりどこかしらコツというのはある様に感じる。

 ある程度のレベルまでのコツのようなものは暗黙値(ちょっと前に流行ったナレッジマネージメントですな)で広く共有する事が出来るだろう。

 またこれは競技トレーニングなどにおいて先輩から後輩と伝わり、やがて何の為にしているのか分からない形に変形する事が多く、狭い社会で面白い伝説がたくさんある。伝統として今も続いているものがたくさんありそうでワクワクする。


 高いレベルのコツというのは、変な話し、それが分かる人にしか分からない。そういうもんだ。
 「ボールが来るでしょ、見るでしょ、打つでしょ、ホームランになるでしょ」
私には分からない。言葉の意味は分かるがそれで競技成績に繋げる方法が見いだせない、、、。
 
 
 
トレーニングをどういうふうに考えると良い?

 トレーニングというのを簡単に言うと、そういうコツのようなものをいろいろな方面から纏めて分解して、誰にでも習得可能な様に、なるべく単純にし順を追って組み立て直したものだともいえよう。
 だから体力要素も有れば、技術要素も、その他の要素も含まれる。
 技術習得の為の時間の短縮にもなるし、大勢いても基礎から向上を望めるので都合が良い。

 現在のトレーニングはフィジカル要素の向上が主目的で、競技技術を向上させる「競技練習」とは分けて考える方向に有り、またそういう考え方が主だと思うのだが、大昔の重いタイヤを引きずって走るような方法は、トレーニングとも競技練習ともどちらにも分類されると思う。
 そういう曖昧なものがトレーニングの出だしだったのだろう。

 走る事を目的にする陸上競技の場合は現在でも境が明確でないし、また、トレーニングや技術練習の方法が進めば進むほど競技練習の要素を大幅に取り入れたトレーニングも出て、それはトレーニング要素を大幅に取り入れた競技練習とも言えるので、余計境が無くなるになる。

 そうなると、例えば柔道とすると、ウエイトを使うのはトレーニングで、柔道着を着ると柔道の競技練習、などとと分けて考えるとすると、可能性が減るだろう。
 自分より重い体格の選手と組み手を行う例はたくさん有るが、じゃあ砂袋を抱いての体幹対角線スピード捻りは、トレーニングと競技練習のどっちになるんだ、となるとどっちでも良い事だし分類できるものでもない。

 スポーツに限らず練習や訓練やトレーニングというのは、あらかじめ設定した目標(指標)に近づける為に行うのだから、
「何の為に、このような理由で、このような事をしている」というのが分かっていれば、アプローチの方向はどちらからでも良いのである。
 それを使う道具の種類や見た目で考えると、やがてどうしても矛盾が生じてしまう。


 トレーニングや競技練習が初期段階のうちは競技者がのそのままやっているし、基礎レベルではその方法で習得時間に問題はあまりないだろう。対費用効果の面などでも妥当であろう。

 しかし高度になると細分化が進むので選手だけではよく分からなくなってくる。
 細分化するほど、体力要素や、技術要素、その他の要素がバラバラになってくるし、研究者によっても言う事は違うし、国や地域によっても色々有る。
 そういう事を先輩選手に質問しても、思うような答えが返ってこないのは当然だ。

 トレーニングはある一部では高度なものへとどんどん進むが、理論的な裏付けが無いまま残っているトレーニングもたくさん有る様に思う。


 バーベルクリーンを行うにしても、知らないで見てるには重量挙げみたいなものだから、どうして重量挙げじゃない選手がそういうことをするのかは分からないかもしれない。
 知っている選手は見れば何をしているか分かるし、知らなくても聞くと分かるのだが、大抵知らない人ほど聞かないで見た目だけ覚える。

 聞かない人はいつもの練習場所に戻る頃には、前提が不明なまま色々考えまくって、結局いつものトレーニングに戻ってしているのかと思う。
 科学的アプローチに因るトレーニングと、そういう根拠が不明のまましているトレーニングでも、どちらも見た目はあまり変わらないので、組み立て方など関係ないし、どうにでもなるような印象を与えるのではないかなあと感じる。
 
 今はその幅がすごく開いている様に感じる。
 
 
 
アプローチの方向はいくつかある

 トレーニングという全体の動きを一度分解して再度組み立てる方向のアプローチと、現在有るものをそのまま積み立てていくコーチングというアプローチに、大きく二つの方向に分かれるのだろう。

 トレーナーとしてみる場合は、「それってこれが原因でダメなんだから、原因を残したまま同じ事をしても変わらないよ」と感じる事がすごく多い。

 「そんな事言ったって、あなた、この競技経験した事無いでしょう」という方もおられるのだが、こっちは運動エネルギーが適切かどうかを見る訳だから、その競技自体の経験はほとんど関係がない。

 競技経験と言う単面でしか見ていないのだから、これだけで既に偏っている気がする。

 原因を抱えたまま同じ練習で解決しようとしても、どうしても無駄が多くなる。
 私はそういうのは単なる昔ながらの根性主義にしか見えない。同じ方法でやる意義や必要性が全く感じられない。

 でもそれは、その人がどう考えるかだろう。
 考え方や見方を変えれば本質的なの意味での「最適な方法」に短時間で近づくのだろうが、「やっていて面白い」とか、「自分で磨きたい」という考えはそれで正しい。「好きだから」であればなおさらだ。
 人から見れば私も同等に偏っているはずだから、私が「こっちが良い」というものでもない。

 しかし自分の知っている方法以外には目を向けないでいるよりは、「こういう方法もあるよ」というのをいろいろな知っていた方が幅は広がるだろうし、私はその方が面白いし楽しいし、良いと思う。
 
 
 
きちんとした取り組みが出来ていると、ベースから持ち上がってくる

 たまによその練習やトレーニングを見させていただくと、伸びている団体やチームはきちんとした競技練習やトレーニング方法をとっているし、それらを上手く組み合わせている。

 伸びているところはベースから持ち上がってきているから、そういう共通した方法が作られているのだろう。
 トータルで見て良い状態になっているのが感じられる。

 チームや団体だと、頭角を現す選手もいれば、落ち込んでいる選手もいる。要領が上手いのもいれば、生真面目なのもいる。
 これは会社や学校の様に多数の人間が活動する以上はどこでも同じ割合である事なのだから、運動組織だけの話しではない。
 なおかつ、トップクラスのメンバーだけを集めても同じ割合で発生するし、そうでなくても同じ割合で発生する。
 組織ならではの人間関係も多いに影響する。

 しかし競技団体というのは競技技術の向上の為に有るのだから、監督や先輩が怖いとか頭が固いとかいうのが主原因なのではなくて、やはり競技練習やトレーニングを上手に組み立てているかどうかが本質的に必要だ。

 きちんとした取り組みが出来ていると、ベースから持ち上がってくるのである。
 これは小さい団体や個人選手でも、運動以外の音楽や審美要素や勉強でも、何でも同様である。

このブログ記事について

このページは、hisaが2009年4月 3日 12:32に書いたブログ記事です。

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